始まりは左目の小さなアザ…原因不明の難病「サルコイドーシス」で日常を奪われた女性(62)が悔やむ“病院を避けた過去”(東洋経済オンライン)
41 分前

難病「サルコイドーシス」に罹患し、治療とリハビリの日々を送る澤田幸子さん(仮名・62歳)は、難病認定までに8年近くの時間を費やした。
特に認定前の3年ほどは、原因不明のまま次々と重なる不調に悩まされた。現在は病気の影響により、両脚共に動かすことは難しく、常にベッドの上で過ごす。
家事に育児に仕事にと、充実していた彼女に何が起きたのか。幸子さんに起きた異変の記録をたどり、人生が一変したときのレジリエンスを考えたい。
難病「サルコイドーシス」に罹患し、治療とリハビリの日々を送る澤田幸子さん(仮名・62歳)は、難病認定までに8年近くの時間を費やした。
特に認定前の3年ほどは、原因不明のまま次々と重なる不調に悩まされた。現在は病気の影響により、両脚共に動かすことは難しく、常にベッドの上で過ごす。
家事に育児に仕事にと、充実していた彼女に何が起きたのか。幸子さんに起きた異変の記録をたどり、人生が一変したときのレジリエンスを考えたい。
■原因も治療法も不明の難病「サルコイドーシス」
「あ、今日も生きてる」
幸子さんの一日は、目を覚ました瞬間に自分の鼓動を客観視することから始まる。難病になって以来、一日一日を大切に、その日を精一杯生きると決めたと言う。
「精一杯と言っても、体は動かないんだけどね」と、こちらを気遣うように笑顔を見せた。
サルコイドーシスは、臓器に肉芽腫(にくげしゅ)という炎症性のしこりができ、増殖していく免疫疾患だ。
日本国内でサルコイドーシスの特定医療費(指定難病)受給者証を持っているのは約1万6000人(2024年時点・厚生労働省)だが、未申請の患者を含めると有病者数はもっと多いとされる。
症状や重症度、治療の経過などは人によってさまざまだ。
■脳神経にできた肉芽腫のため、体が不自由に
全身性のため、心臓や神経など重要な臓器に障害が及ぶこともある。幸子さんの場合は脳神経に肉芽腫ができた。中枢神経の脊髄(せきずい)の伝達がうまくできなくなり、結果として思うように体を動かせない。
炎症を防ぐ目的のステロイド治療は命を守るために欠かせない反面、副作用で血糖値が上がりやすく、糖尿病のケアも同時に求められる。
生まれながらの病気ではなく、患者の多くは成人になってから発症する。遺伝性でも、感染性でもない。研究は行われているが、明確な原因の解明や治療薬はまだ存在していない。
幸子さんは毎月の診察と半年ごとの健康診断を受けながら、病勢を抑える投薬と、リハビリの日々を過ごす。まずは、異変の始まりから聞いた。
53歳だった2017年の秋頃、左目の上あたりに少し赤い「小さなアザのようなできもの」ができた。
「顔だから嫌だなあとは思ったんですけど、ホルモンバランスが変わる年齢でもあったし、体は元気だったので、そのままにしていました」
日々忙しくしていると、自分のことを後回しにしてしまう人は少なくない。「しなくてはいけないこと」が無限にあり、体が問題なく動くのであれば、痛みもない小さなできもので病院に行かなくとも不思議ではない。さらに幸子さんは、もともと病院が苦手でもあった。
■「そのうち行くね」と言いながら、あっという間に数年
なかなか治らないそれを見て、身近な人たちが病院を勧めるたび、「そのうち行くね」と答えながら、あっという間に数年が経過してしまった。
「左目の上を触ると、ほんの少し膨らみがあって、表面はざらっとしていました。数年で一回りくらい大きくなった気もしたんですけど、世界がコロナ禍になったのでいっそう病院が遠くなってしまって……」
病院は苦手だったが、30歳のときに母親を看取って以来、食べるものには誰よりも気を遣ってきた。病気にならないように、健康な食事をすること。それが母と交わした約束だったからだ。
長年、自分を律し、管理できている。「私は大丈夫」と信じていられた。万が一、威圧的な医師に当たって嫌な思いをするかもしれないと想像すると、定期健康診断にも足が向かなかった。
「でもこの病気になって、違和感をそのままにしていたことが一番いけなかった、と痛感しています。病院に行かない限り、どういう先生が自分にとって合うのかもわからないし、健診を受けなければ、自分の状態を数値で知ることもできない。病院を避けていたことは間違いだったと、今は思っています」
落ち着いた様子で語るが、どれほどの悔しさかと想像し、胸が痛む。ほかのサルコイドーシス罹患者のなかには、定期健診をきっかけに早期発見し、比較的軽症のまま治療を続けている人もいるそうだ。
■めまい、帯状疱疹、激やせ…次々にやってくる不調
57歳を迎えた21年頃からさまざまな不調が重なるようになる。
ある朝、起き上がることもできないほどのめまいに襲われた。耳石が剥がれて起こる、良性発作性頭位めまい症。事務職でフルタイム勤務だったこともあり、さすがに病院に行った。
治療期間を経て回復するも、しばらくすると今度は帯状疱疹に罹患し、またも病院へ。帯状疱疹は数カ月後に2度目の罹患も経験する。続いて、原因不明の食欲低下に襲われた。
「空腹すらあまり感じなくなって、好物なら少しは口にしたけど、でも前みたいな量が食べられず、どんどんやせてしまいました」
大きなマスクをして仕事は続けていたが、健康的だった体重が47キロになり、それに伴い体力も低下。愛娘が暮らすアパートにも、急な階段を理由に行けなくなってしまうほど力を失っていく。
解決する間もなく、今度は歩行障害が始まった。
「歩いていると突然、膝がカクンと曲がり、転んでしまうんです。電車通勤だったので、ホームで転んでしまうことが何度もありました」
なんとか日常生活を続けていたが、不調の勢いは加速度的だった。あるとき、顔の半分が下がり、呂律が回らない。脳梗塞だと思った。すぐに救急車で大きな病院に搬送されたが、「脳梗塞特有の影が見られない」と言われ、入院もなく帰されてしまった。
後日、通院のために歩道を歩いていた際、車を避けようとした瞬間にバランスを崩して転倒。足の親指を骨折し、靭帯も損傷してしまう。
■「これ以上は難しい」と退職、続いて愛犬が急逝
いくら不調が起きても続けてきた仕事だったが、これ以上は難しいという自覚もあり、24年3月に60歳で退職した。さらにこの頃、身を切られるようなつらい別れが重なった。愛犬の急逝である。
「まるで、お世話するのが難しくなってきた私を悟ったかのように、あっという間に逝ってしまいました」と、ベッドのそばに飾られた愛犬の写真を見つめながら語る。その横顔に、いかに大切な家族の一員であるかが感じられた。
退職により自宅療養が始まるも、一向に良くならない。特に悪化したのは両脚だった。
自室から数メートル先のトイレへ行くことも難しくなっていく。壁づたいにゆっくりたどり着けたとしても、トイレの手前にある数センチの段差を超えるためには、誰かに支えてもらう必要があった。
さらに2度目となる脳梗塞のような症状が出てしまう。再び救急車を呼ぶと、前回とは違う中野区の東京警察病院に搬送された。そこでは、後に「一生頭が上がらないほど感謝している」医師たちとの出会いが待っていた。
■難病認定に「よかった!」の声
初めは脳梗塞と症状が似ている一過性脳虚血発作だと説明されたが、その後、担当医は脚の異変に気がついた。
検査を重ねた担当医は、「同年齢の女性に比べて若干、脳室が大きい」ことに気がついた。そのことからサルコイドーシスの可能性を鑑み、難病認定を視野に入れて、東京大学医学部附属病院への転院を提案した。
この時期、歩行障害に加えて排泄障害も始まりだしていた。幸子さんはこの頃のことを「自分に何が起きているのかわからないことがつらかった」と振り返る。
外出や人に会うことはおろか、家事もできなくなり、「なまけものだと思われるのではないか」と、生真面目な性格ゆえの心労も重なっていた。
25年の初め、約2カ月におよぶ東大病院での検査と治療の準備を続けたある日、担当医からサルコイドーシスの認定が出たと告げられる。思わず、「よかった!」と声が出た。
「難病と言われて喜ぶのも変な話ですけど、体の状況がわかったことがうれしくて。先生も一緒に喜んでくれました」
生体検査の結果、幸子さんのサルコイドーシスの発端は、左目上の「アザのようなできもの」だったことも判明した。
これまで、何度入院したのか数えきれない。どれほど泣いたのかわからない。しかし幸子さんの涙は、理不尽な運命を呪うものではなく、人の力を借りながら生きる自分が「誰かの時間を奪ってしまっている」と感じる自責に近い。
「かといって、もしも私が自暴自棄に投げ出してしまったら、助けてくれている皆さんに申し訳が立ちません。だから腐らずに、しっかり治療に取り組むことが恩返しだと思っています」
■自分で調べて納得した上で、投薬や治療に向き合う
医師の話を聞くだけではなく、自分で調べて納得した上で、投薬や治療に向き合うことにした。
ステロイド治療由来による糖尿病ともうまく付き合う工夫を続けている。食後の血糖値の変化をしばらく観察し、あえて医師の指示からずらした時間帯にステロイドを服用するほうが、終日、血糖値が安定することなどを体得した。
「お医者さまのことは頼りにしても、治すのは自分自身。そう思わなければ、もしも数値が悪くなったときに誰かのせいにしてしまう。必ず自分で納得した上で治療に入ることが大事だと思っています」
難病に認定されたことにより、高額療養費制度に「特定医療費(指定難病)助成制度」を組み合わせられるようになった。要介護度5の認定を受けており、身体障害者手帳もある。行政支給のタクシー券では、車椅子で乗れる介護タクシーを頼むこともできる。
人的サービスの利用は現在、ヘルパーの訪問が週1回、リハビリが週2回。排泄障害に伴う感染症リスクを避けるため、週6回の訪問看護による排便介助や洗浄も欠かせない。週に1回は訪問入浴もあり、月に2回は訪問診療を受けている。
「皆さんの税金のおかげで生かしてもらっている」と、幸子さんは感謝の言葉を繰り返したが、税金だからこそ、国民の命を支えることに使われてほしい。
リハビリの成果も少しずつ現れてきた。
1年前まではベッドを起こしても、両側を枕などで支えていなければ、体が左右どちらかに倒れてしまうほど体幹が弱っていた。今は上半身を起こして日中を過ごせている。一時期はうまく書けなくなった字も戻り、日々の記録付けを継続する。
毎回誰かに頼まなければいけなかったペットボトルのキャップも、ついに自分で開けられるようになった。不慣れを克服しながら食事を作ってくれる夫に対しても、少しずつ手伝えることが増えてきた。
「ベッドのテーブルでできることに限りますが、納豆を混ぜるとか、けっこう腕を使うんです。日常生活の動作がいかに大事かを痛感します」
■次にクリアしたいことは「起き上がり」
次にクリアしたいことを尋ねると、「起き上がり」だと教えてくれた。上半身を起こしたら体を横に向け、両方の足を持って動かし、ベッドサイドに腰掛けた姿勢を取れるようになること。
自分で車椅子に移動できるようになるためにも、まずは起き上がりができるようになれたら、と未来を見据えたビジョンを語った。
理不尽さの深淵を見た幸子さんの言葉には、しかし凛とした強さが宿っている。私たちが生きる「当たり前の日常」は、決して誰かに保証されたものではないのだ。
自分は小さな違和感を無視していないだろうか。今日という日を精一杯生きているのだろうか。老いや病に向き合う覚悟のきっかけを与えてくれた彼女の言葉が、私の胸に残っている。
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