「経済優先で防衛力削減」の落とし穴、国民も賛同した英サッチャー政権“軍縮”の教訓(ダイヤモンド・オンライン)
56 分前

「コスト削減」や「選択と集中」は防衛産業の議論でしばしば語られるが、目先の経済合理性を優先した結果、国の防衛基盤を崩壊させた歴史が存在します。1980年代の英国サッチャー政権が陥った「軍縮と紛争誘発」の教訓から、いま日本が向き合うべき「技術力=国防」の本質と、真の継戦能力について考えます。※※本稿は、桜林美佐『軍産複合体:自衛隊と防衛産業のリアル』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
東京・目黒の防衛装備庁・艦艇装備研究所の敷地内には知る人ぞ知る石碑があります。そこに刻まれている4つの文字は私たちを覚醒させてくれるものです。
それは「技術報國」という言葉です。
この石碑は、旧帝国海軍の目黒海軍技術研究所が紀元2600年(1940年)を機に建立したもので、揮毫したのは都築伊七・海軍中将とされています。都築中将はこの後、旧横須賀海軍工廠で工廠長を務めた機関将校でした。かつて零戦や戦艦大和を作り出した旧海軍の技術者たちの気概が、この4文字から見て取れるのです。
この石碑は戦後、連合軍の接収やわが国の技術が封印されていた間もそこでじっと耐え、日本の復活を待ちました。そして、二度と蘇らないと思っていた日本の軍事技術に再び火が灯った様子を見守ってきたのです。
資源のない日本にとっては「モノ作り」こそが国の救世主でした。技術の優位性は国防そのものです。もちろん、このことは昔も今も変わりません。しかし、近年は技術力が国を助けるという事実が忘れられがちになっていないでしょうか。
かつては「技術報國」のスローガンに敬意を表す自衛官も多くいました。しかし最近はどうでしょうか。
● 世界一を目指してこその国家の技術力
国産技術の重要性を説明する際に、しばしば「自国に技術を持っていれば、輸入などで他国から物を買う際にも有力なバーゲニングパワーになる」と言われますが、ある技術者から「この表現は好きじゃない」と言われたことがあります。曰く、「技術開発は、誰もが世界一を目指して取り組んでいるものであり、買い物を有利に働かせるためではない」と……。
こういう気概は非常に重要だと思いました。「技術力」といっても、ただ作れるだけではだめで、それが世界に比して優位性を持っていることが重要なのです。「世界一」を目指し、そのレベルに到達して初めて他国とのかけひきが可能になる。
「コスト削減」や「選択と集中」は防衛産業の議論でしばしば語られるが、目先の経済合理性を優先した結果、国の防衛基盤を崩壊させた歴史が存在します。1980年代の英国サッチャー政権が陥った「軍縮と紛争誘発」の教訓から、いま日本が向き合うべき「技術力=国防」の本質と、真の継戦能力について考えます。※※本稿は、桜林美佐『軍産複合体:自衛隊と防衛産業のリアル』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
東京・目黒の防衛装備庁・艦艇装備研究所の敷地内には知る人ぞ知る石碑があります。そこに刻まれている4つの文字は私たちを覚醒させてくれるものです。
それは「技術報國」という言葉です。
この石碑は、旧帝国海軍の目黒海軍技術研究所が紀元2600年(1940年)を機に建立したもので、揮毫したのは都築伊七・海軍中将とされています。都築中将はこの後、旧横須賀海軍工廠で工廠長を務めた機関将校でした。かつて零戦や戦艦大和を作り出した旧海軍の技術者たちの気概が、この4文字から見て取れるのです。
この石碑は戦後、連合軍の接収やわが国の技術が封印されていた間もそこでじっと耐え、日本の復活を待ちました。そして、二度と蘇らないと思っていた日本の軍事技術に再び火が灯った様子を見守ってきたのです。
資源のない日本にとっては「モノ作り」こそが国の救世主でした。技術の優位性は国防そのものです。もちろん、このことは昔も今も変わりません。しかし、近年は技術力が国を助けるという事実が忘れられがちになっていないでしょうか。
かつては「技術報國」のスローガンに敬意を表す自衛官も多くいました。しかし最近はどうでしょうか。
● 世界一を目指してこその国家の技術力
国産技術の重要性を説明する際に、しばしば「自国に技術を持っていれば、輸入などで他国から物を買う際にも有力なバーゲニングパワーになる」と言われますが、ある技術者から「この表現は好きじゃない」と言われたことがあります。曰く、「技術開発は、誰もが世界一を目指して取り組んでいるものであり、買い物を有利に働かせるためではない」と……。
こういう気概は非常に重要だと思いました。「技術力」といっても、ただ作れるだけではだめで、それが世界に比して優位性を持っていることが重要なのです。「世界一」を目指し、そのレベルに到達して初めて他国とのかけひきが可能になる。
よく「国際問題は軍事ではなく外交で解決すべきだ」などといわれますが、優位な軍事技術があってこそ外交にも効果を発揮するのです。旧日本軍の技術者たちが死に物狂いで研究・開発に取り組んだのは、自分たちの努力次第で国の方向性が決まってしまうことを分かっていたからです。その意味で、北朝鮮が必死になって核やミサイルの開発に挑戦する姿は、誤解を恐れずに言えば「立派」だとも思います。
また、昨今は「国際共同開発」の時代だといいますが、自国に秀でた技術を持っていなければ「お呼びじゃない」ということも肝に銘じなくてはなりません。技術を持たない国が共同開発に加わりたい場合は、資金だけ分担することになるわけです。
「技術抑止力」は認知され難いため、国民はそんなものはなくても平和が保たれていると思ってしまいがちです。しかし、私たちの平穏で幸福な毎日は、実は自国の軍事技術によってもたらされていると言っても過言ではないのです。
「銃はいらない」「核はいらない」と、いくら叫んでも戦争はなくなりません。清濁併せのむのが人間社会であることを認め、軍事技術やそれによる抑止力を尊重する成熟した国を目指していきたいものです。
● いまだかつてない防衛産業への注目
それにしても、日本の防衛産業が今ほど注目されている時はあったでしょうか。ある新聞では、日本の防衛産業は「土俵際」にあるといい、また別の新聞では日本の防衛産業は「道半ば」だと評されていました。一体、防衛産業の現在地はどこなのだろう?と悩まされますが、さまよい続けているということなのかもしれません。
私から見れば、実はこの問題が迷走してしまうのは当然なのです。というのは、防衛産業を巡る政策は「産業政策」なのか、はたまた「安全保障政策」なのか、そこが混同されがちで判然としないからです。
確かに、防衛技術の活性化は産業政策としての側面がありますが、やはりこの問題は「国防」そのもの、すなわち安全保障政策として取り組んでいくべきだと私は思います。
常にこの大前提を見失わずに話を進めていかなければ、どうしても同床異夢の話に終始してしまうでしょう。
もう少し突き詰めれば、この議論は陸海空自衛隊のそれぞれの役割や運用がどうなっているのか、どうすべきかが前提なので、自衛隊を知ることから始めるべきなのです。
● 靴下と戦闘機はどちらが大事なのか
侵攻事態では本土から離れた海、そして空を守ることがまず最初の課題となります。しかしその防備が破られたなら、地上での防衛に移行せざるを得ません。陸海空の防衛はその時間軸が異なります。そして最も長い時間戦闘に耐えなくてはならないのは、やはり陸上戦力です。つまり、最も「継戦能力」、持久力が求められるのは、陸上自衛隊ということになるのです。
武器や装備を国産化する意義は継戦能力のためであると考えれば、陸海空自衛隊の中でも特に国産にこだわるべきは、やはり陸上自衛隊だと言えるでしょう。しかし問題なのは、陸自の装備全般における国産の必要性が海空自衛隊と比べて理解され難いということです。
小銃と戦闘機と潜水艦のどれが一番重要か?と問えば、多くの人が戦闘機や潜水艦と答えるでしょう。では小銃と靴下ではどうでしょうか? やはり小銃の方をあげる方が大半かと思います。
しかし、数十キロを行軍する歩兵にとって、靴下はとても大事です。破ければ戦力が著しく低下します。靴や下着も同じです。自衛隊の装備についても、「選択と集中」などと言って必要なものとそうでないものを選別すべきだといった議論が出てきますが、実態を知らない人がこれを行うのは乱暴です。戦闘の現場に出れば何週間も着たきり雀となる彼らの感覚を私たちが分かるはずがないのですから。
一方で、海空自衛隊が国産化を目指さなくてもいいのかと言えば、そんなことは全くありません。米軍との共同運用性を重視する装備については米国製を導入しているとはいえ、実際には潜水艦も護衛艦も国産であり、戦闘機も国産か日本主導の共同開発を目指そうと奮闘しています。
海空自衛隊の装備もなんとかして国産を遺すべく努力しているのです。これは国産の利点を実感した先人たちが苦労して残してきた結果であり、同じように未来の自衛隊を考える時、今を生きる私たち世代の責任として継承すべきことです。「いまこの時点での必要性、経済性」からのみで防衛力整備を行うべきではないのです。
● 英国の防衛基盤を崩壊させたサッチャー首相
軍事を考えずに防衛産業政策を行うとどうなるかの事例となると、いつもイギリスを思い出します。
イギリスでは1980年代初めのサッチャー政権時に大規模な軍縮を行いました。当時「英国病」と呼ばれた経済不況の中で就任したサッチャー氏は、「軍備の効率化」と銘打ち、ポラリス原潜の退役を見すえたSLBM(潜水艦発射型弾道ミサイル)トライデントの米国からの購入、小型艦艇の導入による人員・任務の縮小を行い、欧州から離れた地域への部隊派遣は二次的役割に引き下げました。空母は3隻から2隻に減り、このことは欧州域外への関与能力低下を自ら示したことになりました。
英国は、1979年にアルゼンチンがフォークランド侵攻を企図しているとの情報を掴んだものの「常駐部隊を置くとコストがかかる」ということで一時的な部隊派遣にとどめました。しかし、このことがアルゼンチン側に「イギリスは離島防衛の意志が薄くなっている」というメッセージを送ることになったのです。
ダメ押しになったのは、フォークランド海域に派遣されていた哨戒艦「エンデュランス」を経費削減の一環で除籍させる決定でした。イギリスの南大西洋地域に対する関心の低さを露呈することになったのです。これがアルゼンチンの背中を押してしまいます。
一方で、このような一連の国防予算の削減は、不況にあえぐ国民に大いに支持されたのです。効率化の名の下で強行した軍縮が紛争を招いたことは明らかですが、国民はそれぞれの暮しや目先のことしか分からないため、この軍縮はサッチャー首相の強力なリーダーシップの表れとして評価されることになります。
民主主義とはこういうものです。つまり、国民の賛同は必ずしも国防に資するものではない、むしろ紛争を招きかねない場合もある、ということです。
よく防衛費について「税金を使うのだから透明性が必要だ」と言われますが、だからといって素人が国防の方向性を決めるようなことは、むしろ納税者たる国民を危険に追い込むことになりかねません。
イギリスはフォークランド紛争には勝利しましたが、この教訓から、それまでの方針を一転して島嶼部への軍備を厚くし、空母や潜水艦など艦艇の建造も再開しました。しかし、軍縮によって国が保有していた防衛産業の株式を売却して切り離しを図り、経済合理性の観点からブリティッシュ・エアロスペースなどを再編に追い込み弱体化させた影響は想像以上に大きいものでした。一度ストップしたものを再び始めるのは困難を極め、とりわけ潜水艦の建造は長い間イギリスを苦しめることになりました。
サッチャー首相を描いた映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(原題 TheIron Lady)を観ると、フォークランドに艦艇を派遣するよう命じたサッチャーに「艦がありません。あなたが削ることを決めました」といったセリフが返ってくるシーンがあり印象的でした。
私はここでサッチャー批判をしたいわけではありません。一連の経緯は、「軍備の効率化」というのは後でそのツケを払わねばならない可能性があること、つまり結果的に効率化にならないということ、またそのことで戦争抑止に失敗する場合もあることを教えてくれる、貴重な教訓であると思っています。
さらに、この点はあまり語られていませんが、削減により大きな影響を受けるのは軍の運用現場です。装備が削減されても、命令とあらば彼らは出動していきます。装備をさんざん減らした上で、彼らに「国のために戦争をしろ」と言うのは、あまりにも残酷に思えてなりません。
いずれにしても、このイギリス・サッチャー政権が招いた防衛生産・技術基盤の事実上の崩壊、そして防衛費の徹底的な効率化による抑止の失敗は、今の日本にとって非常に示唆的な歴史的事実ではないでしょうか。
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