男のひげは「ライオンのたてがみ」と同じ? その生体シグナルが持つ意味と変遷とメッセージ(Forbes JAPAN)
3 日前

ヒトははるか昔に、外見的にわかる濃い体毛の大半を失った。これは、われわれヒトという種にとって基本的な状態になっている。そうした背景を踏まえると、思春期以降の男性だけに生えてくる顔の濃い体毛、つまり「ひげ」は、例外的な現象であり、生える理由を検証する必要があると言える。
即座に思いつく理由はいくつかあるが、ただし、それらではこの現象をうまく説明できない。防寒の役割があるとは考えにくい。なぜなら赤道付近にルーツを持つ男性にも、ひげは普通に生えているからだ。
太陽光から肌を守るため、というのはより興味深く、惜しい回答だ。確かに、顔に生えている毛には、紫外線をある程度ブロックする機能が備わっている。しかし太陽光は、男女を問わず、さらに幼い子どもにも平等に降り注いでいる。そう考えると、紫外線の脅威だけでは、片方の性別のみに、思春期を迎えたのちにようやく現れる形質を説明することはできない。
生物学者が明確に示せるのは、ひげのカテゴリーについてだ。ひげは第2次性徴に属している。つまり、性的成熟に伴って出現し、生殖に直接的に役割を果たすことはないものの、男女の間で著しく違う形質といえる。ひげが生えるスイッチの役割を持つのは、テストステロンを含むアンドロゲン(男性ホルモンの総称)だ。出生時にはひげが生えておらず、思春期の到来にタイミングを合わせて生え始めるのは、これが理由だ。
■「性選択の2つの道筋」から導き出される役割
このような形質は通常、性選択(sexual selection)によって説明される。これは、進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンが、生存に有利な形質が残るとする自然淘汰だけでは、うまく説明できない特徴に関して提起したプロセスだ。
性選択は、2つの道筋で働く。つまり、ある形質が異性に好まれるために拡散する「異性間選択(配偶者選択)」と、その形質を持っていると同性のライバルとの競争に役立つことから広まる「同性間選択」の2つだ。この2つは、異なる想定に基づいた異なる説明であり、ひげが生える理由に関しても、どちらの道筋をとるかによって驚くほど異なる回答が生まれる。
異性間選択を理由とする説は、大半の人が思いつくものだろうが、2つのうちでは論拠の弱い説明でもある。顔に生える毛が好まれるかどうかは、文化によって大きな違いがあるうえ、単一の文化圏であっても、わずか数十年でガラリと変わることがあるからだ。
2014年に『Biology Letters』に掲載された論文では、きれいにそり上げた顔を含む、4つのひげのスタイルに関する人々(男女)の好みを検証した。その結果、どのスタイルであっても、提示された多数の顔のなかで、珍しいパターンがより魅力的に映ることが判明した。この結果は、ひげのスタイルそのものの形に関する好みというよりも、新奇なパターンが好まれるという形で解釈できる。
これに比べて、同性間選択を理由とする説は、より矛盾のない説明が可能だ。2012年に『Behavioral Ecology』に掲載された論文では、ニュージーランドとサモアという、大きく異なる文化を持つ集団に対して、同じ男性の「ひげあり」と「ひげなし」、両方の顔を見せた。すると、どちらの集団においても、ひげがあるバージョンの方がより年上で、社会的地位が高いと判断されたが、魅力度に関しては増大がまったく認められない、という結果が出た。
また、ひげは顔の見た目の大きさを拡大し、あごのラインを角ばらせる効果がある。角ばったあごは、肉体的な強さと結びつけられる視覚的特徴だ。最近の研究で明らかになった重要なエビデンスからも、ひげを評価するのは主に男性であることが示されている。
さらに、科学的裏付けには乏しいものの、同性間選択説は、男性自身のひげに関する発言とも整合性がある。ひげを生やしている男性にその理由を聞くと、「年長に見られたい」あるいは「職場で威厳がある印象を与えたい」といった答えが返ってくることが多い。「モテたいから」という声を聞くことはほとんどないだろう。
これを他の動物の事例と比較するなら、「クジャクの飾り羽根」よりもむしろ「ライオンのたてがみ」の方が近いだろう。たてがみは、配偶者候補へのアピールというよりも、同性のライバルに対する威嚇として機能している。これがあることで、取っ組み合いのケンカになる前に、対立を収めることが可能になる。「強そうに見せること」ができれば、実際の強さを証明するよりも、かなりの低コストで目的を果たすことができるわけだ。
■「ひげに関する科学的研究」が究明できていないこと
仮説の一つに、ひげは、顔を物理的に守ることに役立っているというものがある。つまり、打撃などの衝撃からあごを守るということだ。2020年に『Integrative Organismal Biology』に掲載された研究は、この点を検証した。具体的には、骨に見立てた素材を羊の皮で覆い、その上に重りを落としたところ、毛が生えている皮のサンプルは、毛を刈ったタイプの皮と比べて、より顕著にエネルギーを吸収することが判明した。この結果は、確かな結論というよりも、可能性を示唆する段階だ。さらに、これと近いテーマで、相容れない内容の論文もある。この研究によると、ひげの有無と、実際のケンカの強さとの間には、まったく因果関係がないというのだ。
これと関連して、ひげが「十分に信頼性の高いシグナル」に値するか、という議論がある。「信頼性が高い」とはつまり、偽装するにはコスト(代償)が高すぎるため、偽装ができないシグナルのことだ。確かに、すべてのひげを生やすには、何年にもわたってアンドロゲンへの曝露(ばくろ)が必要であり、10代の少年がこれを偽るのは不可能だ。しかし、ひげを維持することにはほとんどコストはかからず、ひげを剃るのも数分で済んでしまう。そのため、ひげは自らの弱点をあえて晒すことで強さを示すハンディキャップシグナルとしては奇妙なものとなっている。
そしてもう一つ触れておくべきは、ひげの伸び方は、一般的な枠組みで思われているよりもはるかに「人によって違う」ことだ。ひげの密度は遺伝性が強く、異なる人口集団の間で違いが認められる。例えば、東アジアやアメリカ先住民の男性では、顔に生える毛は一般的にまばらだ。この特徴の一部は、「EDAR」と呼ばれる遺伝子の、アジア系の人々に共通するタイプに起源がある。
2016年に『Nature Communications』に掲載された研究では、延べ6000人以上を対象に、毛髪および「顔に生える毛」に関するゲノムをスキャンした。その結果、これまで特定されたなかで最も強い、ひげの濃さに関する遺伝シグナルが発見された。しかも同じ遺伝子は、頭髪や汗腺、歯の形を決めていた。つまり顔のひげは、他の目的のために進化してきた発生メカニズムに乗っているということになる。
そして最後にもう一つ、頻繁に話題になるテーマを取り上げよう。実は、ひげを剃ったからといって、そのあと生えてくるひげがさらに濃くなる、ということはない。ひげの毛の幅が広いところにカミソリが入ると、毛先がプツンと切られた状態になり、先が細くなった断面よりも太い印象になるが、皮膚のなかで実際に毛を生み出している毛包には、何の影響も及ぼさない。
興味深いのは、ひげという形質と、それがもつ意味との間にあるギャップだ。物理的にだけ見れば、ひげは人類の進化の歴史のなかでほとんど変わっていない。しかし、ひげが語るメッセージは、時代を通じて繰り返し変わってきた。
きれいにひげを剃っていた古代ローマの兵士から、「ウィスカー」と呼ばれる頬ひげの出来栄えを競ったヴィクトリア時代の紳士まで、実に多岐にわたる。さらに20世紀に入っても、ホワイトカラーのオフィスでは、ひげのないツルンとしたあごが、採用の条件になっていた。
生物学の研究は「シグナル」を提供してきた。だが、それがどういう意味を持つのかについては、常にわれわれに委ねられてきたのだ。
本文の著作権はYahoo!ニュースにあります。