「色彩が消えるくらい苦しかった」ロッテ唐川侑己が人知れず戦ったイップス「直球だけなぜか…」苦悩の末につかんだ“代名詞”カットボール秘話(Number Web)
39 分前

その爽やかな容姿と苦難とは、あまり結びつかない。しかし実際には、現役生活の19年間は常に悩み、もがいた日々だったと言ってもいい。首のヘルニア、腹筋の肉離れ、指の骨折……。右肘痛にも悩み、膝の痛みとも向き合った。
マリーンズの唐川侑己投手が9月4日、現役引退を発表した。地元千葉の成田高校を卒業し、1年目の2008年には初登板初先発で初勝利を挙げた。この1勝目は、平成生まれのプロ野球選手として初めて挙げた白星でもあった。まさに最高の船出。しかし、その後のプロ野球生活では、苦しいことの方が多かった。
「感覚的には世の中から色彩が消えるくらい、自分の中ではきつかった時期があった」と唐川は独特の表現で誰にもわからない葛藤を表現する。
その爽やかな容姿と苦難とは、あまり結びつかない。しかし実際には、現役生活の19年間は常に悩み、もがいた日々だったと言ってもいい。首のヘルニア、腹筋の肉離れ、指の骨折……。右肘痛にも悩み、膝の痛みとも向き合った。
マリーンズの唐川侑己投手が9月4日、現役引退を発表した。地元千葉の成田高校を卒業し、1年目の2008年には初登板初先発で初勝利を挙げた。この1勝目は、平成生まれのプロ野球選手として初めて挙げた白星でもあった。まさに最高の船出。しかし、その後のプロ野球生活では、苦しいことの方が多かった。
「感覚的には世の中から色彩が消えるくらい、自分の中ではきつかった時期があった」と唐川は独特の表現で誰にもわからない葛藤を表現する。
先発ローテの軸としてプロ最多の12勝を挙げた4年目、2011年シーズンもそうだった。
「あの時も肩とか肘が痛かった。最後は我慢しながらなんとか投げた」
翌年は7月5日までに8勝を挙げ2年連続での二桁勝利は確実と思われたが、その後は故障で二軍落ち。後半戦を棒に振った。
「その後も何度も怪我をした。なにも思うようにいかなかった。なにかを変えないといけないという思いがいつもあった」と振り返る。
腕を下げてみたこともあった。
「自分からコーチにお願いをしました。腕を下げて、手首を走らせてスナップを効かせる感覚を作り上げた」
少しずつ手応えを感じ始めたが、その後に待っていたのは悪夢だった。さらなるパワーアップを目指し、腰の柔軟性を課題に取り組み、徐々に回旋可動域を広げることに成功した。しかし、その代償としてピッチングの感覚を喪失した。
「突然、ストレートを全く投げられなくなった。マジで記憶がなくなるくらいに苦しんだ。ブルペンでは隣でピッチングしている人たちのところに投げて、当てそうになったこともある」
2017年の事だ。ストレートが思うようにコントロールできなくなった。突如、投げる感覚を失った。なにをやっても思い出せない。パニックに陥った。いわゆるイップスだった。
「スライダー、カーブ、フォークは投げられる。ストレートだけなぜか投げることができなくなる」
苦しみのどん底にあえぐ唐川に首脳陣が苦渋の選択として提案したのは中継ぎ転向だった。忘れもしない。2018年、ポカポカ陽気の春の日。この年からマリーンズの監督に就任した井口資仁氏(現侍ジャパン監督)が二軍の本拠地・浦和に突如、現れた。
「2人だけで話がしたい」
そう口を開き、持ちかけられたのがセットアッパー転向だった。ルーキーイヤーから先発を務めてきた自負はあった。しかし、ストレートが投げられない以上は長いイニングはもたない。短いイニングを変化球で乗り切る覚悟を決めた。
「だからスライダー中心で投げた」。これが好結果に繋がった。少しばかり余裕が生まれるとストレートの代わりにスピードが出る新たなボールの習得に取り組んだ。それがその後の唐川の代名詞となるカットボールだ。
「スライダーを速くするイメージ。もともとボクのスライダーは膨らむ感じではなかった。そこから速いボールということでカットになっていた」という。
時は流れて2026年9月23日。二軍本拠地であるロッテ浦和球場での最終戦で先発のマウンドに上がった。当初、引退発表後は10月3日に一軍本拠地ZOZOマリンスタジアムで行われる引退試合での登板だけに絞っていた。しかし、後輩選手たちから「ぜひ二軍の本拠地最終戦でも投げてほしい。投げている後ろで守らせてほしい」との声が上がり、それに応える形で打者1人だけ対戦した。打席にはライオンズの西川愛也外野手。初球はカットボールでストライク。2球目にカットボールで中飛に打ち取った。カットボールで押し切る唐川の生き様がそこにはあった。
「ここまで結果的に出来たのはカットボールのおかげ。この世界でギリギリだけど、生きる術を授けてくれたというか、与えてくれた救世主」と自身の代名詞にもなったボールに感謝をしてマウンドを後にした。そして「今ではストレートは投げることはできるけど、カットボールより質は落ちます」と笑った。
苦しい時になんとか生き抜こうと必死にもがき、身につけたカットボールという生きる術。つらい日々の中でもう一つ手に入れた大切な事がある。
それはプロ野球人生の中盤。周囲から唐川のピッチングには荒々しさがないと言われた時期があった。どんな時もクール。ピンチを抑えて吠えることもなければ打たれて悔しがる表情も出ない。
「だから、あえて荒々しくしてみた時期があった。そんな時、マウンドでイライラして態度に出してしまった」
調子が上がらずファーム暮らしが続いていた時のこと。ロジンをマウンドに叩きつけた。それを見ていた二軍投手コーチ(当時)の小谷正勝氏に怒られた。
「武士の七つ道具と一緒だ。武士が道具を大事にするようにピッチャーも大事にしなければいけない道具がある。マウンドでの立ち姿も一緒。大事にするべきものがある。それがオマエはあの態度はなんだ。元々はマウンドを大切にしているピッチャー。立ち振舞いが綺麗なピッチャー。それがいいところなのに。いいところは大事にしろ」
今でも忘れられない名伯楽の言葉だ。今は分かる。あの時、荒々しい投球の意味を履き違えていた。その言葉でハッとさせられた。過ちに気が付き、正すことが出来た。感謝している。だから今もピッチャーの七つ道具を大切にしている。毎日、スパイク、グラブを磨く。マウンドに上がる時も感謝の想いをこめる。
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