「生まれたくなかった」「親ガチャ2回失敗するって、ない」…実の親を知らない40代女性が今も問い続ける、生まれてきた意味(東洋経済オンライン)
56 分前

中絶を望む妊婦を説得し、産ませた子どもの出生証明書に虚偽の記載をし、新聞広告で募った育ての親にあっせんする――。
1973年、宮城県石巻市の産婦人科医・菊田昇氏が新聞取材で公表したこの行為は法律に反するものでしたが、子どもの命を救う善行として賞賛され、大きな議論を呼びました。
■大人になってから事実を知り…
この行為はのちに特別養子縁組制度の創設にもつながり、今では多くの人に認められていますが、養子としてあっせんされた220人にものぼる子どもたちの多くはその事実を知らず、なかには大人になってから事実を知り、複雑な思いを抱える人もいます。
中絶を望む妊婦を説得し、産ませた子どもの出生証明書に虚偽の記載をし、新聞広告で募った育ての親にあっせんする――。
1973年、宮城県石巻市の産婦人科医・菊田昇氏が新聞取材で公表したこの行為は法律に反するものでしたが、子どもの命を救う善行として賞賛され、大きな議論を呼びました。
■大人になってから事実を知り…
この行為はのちに特別養子縁組制度の創設にもつながり、今では多くの人に認められていますが、養子としてあっせんされた220人にものぼる子どもたちの多くはその事実を知らず、なかには大人になってから事実を知り、複雑な思いを抱える人もいます。
(あっせんされた)子どもの側の意見も聞いてほしい――。
そう声を上げたのは、石巻市に住む佐藤晃子さん(40代)です。前編では、晃子さんが自身を菊田医師の産院で産まれた養子であることを知るまでの経緯や、出自がわからないことの苦悩、心身に生じた不調などについて、話を聞きました。
後編では、晃子さんがテレビ取材を受けた理由や、彼女と同様にあっせんされたほかの養子から聞いた話、菊田氏や特別養子縁組制度への思いなどを語ってもらいます(前編はこちら:“父親そっくり”と言われた私が、養子? 産科医が出生証明書を偽造「赤ちゃんあっせん事件」当事者女性の今も消えない疑問)。
子どものときに「大人はわかっていないな」と思った経験を、お聞かせください。取材可能な方は、こちらのフォームよりご連絡ください。
晃子さんが初めて取材を受けたのは、自身が養子とわかった3カ月後のことでした。菊田氏の産院について検索していたところ、たまたま彼の行為をたたえるニュース動画を目にして違和感を抱き、すぐにテレビ局にメールを送ったのです。
「あっせんされた子どもの側の意見も聞いてください」。そう訴えると、東北放送の記者が晃子さんの元を訪れ、真摯に耳を傾けてくれたといいます。
■親よりきょうだいに会いたい
晃子さんは取材を受ける際、3つの願いを持っていました。1つ目は、報道により彼女の親探しの手がかりが得られること。2つ目は、彼女と同様に菊田氏の産院であっせんされた人に会うこと。そして3つ目は、養子には「真実告知」を行うように報道してもらうことです。
すべてはかないませんでしたが、2つ目の願い、菊田氏にあっせんされたほかの養子に会うことはできました。番組の放送後、数名から「私も同じ」という連絡を受けたのです。
自身の出自を知った経緯も、抱えている思いも、それぞれでした。「今は幸せだから親探しはしなくていい」という人もいれば、「事情を知っていそうな人はいるけれど、怖くて聞けない」という人、晃子さんと同様、なんとか真実を知ろうと手を尽くしている人もいたといいます。
晃子さんは今も、親探しに結びつく情報を残念ながら得られていません。
「親よりもきょうだいに会いたいんです。小さい頃、私はいつも1人で遊んでいて、ずっと『きょうだいが欲しい』と思っていた。親には会えないとしても、(遺伝性の)病気のことだけは聞きたいです」
親に会うかどうかにかかわらず、「病気の遺伝の可能性を知っておきたい」という声は、筆者も取材で何度も聞いてきました。きょうだいに会いたい、という声もよく耳にしますが、そのためにはやはり血縁上の親を見つける必要があります。
■生まれないほうがよかった
菊田氏がしたことをどう思っているのか。そう尋ねると、晃子さんは一瞬間を置き、逆に筆者にこう質問しました。「私ね、自分が養子だとわかる前から、よく人にこう聞いていたんですけれど。もし戻れるなら、何歳に戻りたいですか?」
不意な質問にうろたえつつ、「え、うーん10代? いやもうちょっと……」などと考え込んでいると、晃子さんはちょっと笑って、言いました。
「私はね、『生まれない』って答えていました。だから(菊田氏に対しては)余計なことをしてくれた、そのまま中絶してくれればよかったのに、って」。口調は軽いのですが、重い言葉でした。
これを読んで「せっかく命を救ってもらったのに」と感じる人もいるでしょう。でも、人は誰もこの世に生まれるかどうかを選べません。だから「生まれてきたくなかった」と思う人がいるのも自然なことという気がします。それは、養子であることとは別の話です。
晃子さんは以前SNSで、「中絶をやめ、出産した子を養親に託した」という人の投稿に「偉い」などと賞賛の声が寄せられるのを見て納得できず、自身の身の上を明かしたうえで、考えを伝えたといいます。
「自分がね、その(逆の)立場になってみてよ、と(苦笑)。もちろん養子に出されていいおうちに行けたらいいですけれど、(生まれたときと、あっせんされたときと)『親ガチャ2回失敗』するって、なかなかないですよ」
うならざるをえませんでした。養子縁組は子どもを幸せにすることが前提の制度ですが、実際のところ、養親に苦しんだ人の話をときどき聞くことがあります。
菊田氏にあっせんされて「よかった」と感じている人がいることも、晃子さんはよくわかっているのです。ただ、自分のような思いをする子どももいることを忘れないでほしい、いないことにしないでほしい。そんな思いがあるのだと感じました。
やるなら、きちんと真実告知をしてほしい。それが、特別養子縁組に対する晃子さんの考えです。真実告知というのは、出自に関わる事実を子どもに伝えること。養子の場合でいえば、「あなたは養子」と本人に告げることです。
「今は特別養子縁組をしたら、子どもに真実告知をしないといけないと言われていますけど、していない人も実は多いと聞きます。でも、いずれ子どもにはなぜかバレるので、ちゃんと説明してほしい。周囲から思わぬ形で養子って聞くほどショックなことはないので」
■菊田医師が今生きていたら…
幼いうちから出自に関する事実を知っていれば、あとで足元が崩れるようなショックを受けることはほぼなくなります。そのため、昨今は世界中で真実告知が推奨されているのですが、それでもまだ真実告知をするか悩む親は多いようです。
「菊田医師がもし今生きていたら一番聞きたいと思うのは、あっせんした後のことをどう考えていたのか、ということです。(子どもを産んだ)親のなかには『私のことを(子どもに)教えていい』と言って、その後、実際に育ての親と菊田医師と一緒に子どもと面会した人もいたようです。そういうふうにしてもらえた人はうらやましいですが……」
晃子さんは、特別養子縁組制度に反対しているわけではありません。
養子が大人になって事実を知って苦しまないよう、必ず真実告知を行って、出自を知る権利を奪わないようにしてほしい。最近増えている「赤ちゃんポスト」についても、出自を知るという子どもの権利の観点から、どうか慎重に考えてほしい。そう話しました。
■誰もが来られる居場所を
地元を離れていた20代の頃からボランティアを続けてきたという晃子さん。
2011年の東日本大震災以降は、石巻を中心に復興ボランティアの活動に携わってきました。時間の経過とともに、生きる支援から生活支援に移行し、最近では困っている人の支援が中心になっているといいます。
「私がボランティアを続けているのは、『生まれてすぐ助けてもらった命だ』という思いもあるからかもしれません。最近は、誰でも来られる居場所づくりをしたいと思っています。自分が孤独を抱えているから、同じような人を支えたいと思って」
晃子さんの居場所づくりが実現することを、筆者も願っています。
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