“父親そっくり”と言われた私が、養子? 産科医が出生証明書を偽造「赤ちゃんあっせん事件」当事者女性の今も消えない疑問(東洋経済オンライン)
56 分前

「『私、橋の下で拾われたんだよね』みたいな冗談を、よく言ってました」
そう話すのは、今から半世紀ほど前に「赤ちゃんあっせん事件」で養子となった当事者の1人、佐藤晃子さん(40代)です。
「特別養子縁組」という制度を聞いたことはあるでしょうか。「普通養子縁組」と違って、特別養子縁組では実の親子関係が消滅します。戸籍の続柄は「長女」「次男」などと書かれ、「養子」とは記載されません(ただし、身分事項欄に「民法817条の2による裁判確定」という記録は残ります)。
「『私、橋の下で拾われたんだよね』みたいな冗談を、よく言ってました」
そう話すのは、今から半世紀ほど前に「赤ちゃんあっせん事件」で養子となった当事者の1人、佐藤晃子さん(40代)です。
「特別養子縁組」という制度を聞いたことはあるでしょうか。「普通養子縁組」と違って、特別養子縁組では実の親子関係が消滅します。戸籍の続柄は「長女」「次男」などと書かれ、「養子」とは記載されません(ただし、身分事項欄に「民法817条の2による裁判確定」という記録は残ります)。
■「赤ちゃんあっせん事件」とは?
この特別養子縁組制度がつくられるきっかけを提供したのが、宮城県石巻市の産婦人科医、故・菊田昇氏です。菊田氏は1960〜1970年代、中絶を望んで同院を訪れた妊婦らを説得して出産を支援。新聞広告で子どもを育てたいという親を募り、生まれた子どもをあっせんしました。
世に言う「赤ちゃんあっせん事件」です。
当時は特別養子縁組制度がなかったため、菊田氏は育ての親がその子を戸籍上の実子にできるよう、役所に提出する出生証明書の親の欄に義父母の名を記載しました。
この行為が新聞で大々的に報道されると、お腹の子をあっせんしてもらうために同院を訪れる妊婦も出てきたといいます。菊田医院であっせんされた子どもの数は、約220人にものぼります。
人の命を救う尊い行為ではあるけれど、出生証明書の偽造は法律に反している――。当時、菊田氏の行為は賛否の議論を呼びました。それでも、1987年に特別養子縁組の法律ができてからは、世間はもっぱら菊田氏を賞賛するようになっていたのですが……。
今から4年ほど前、「(あっせんされた)子どもの側の意見も聞いてほしい」と声を上げる人が現れました。冒頭に登場した晃子さんです。どんな経緯で事実を知ったのでしょうか。
子どものときに「大人はわかっていないな」と思った経験を、お聞かせください。取材可能な方は、こちらのフォームよりご連絡ください。
家には昔から、産院で撮影された晃子さんの写真がありました。寝ている赤ちゃんの脇に記された日付は、母子手帳に書かれたそれと一致。彼女の誕生日です。
父親は、1〜2歳の頃の写真にはよく写っていますが、その後は登場頻度が減っていきます。会社を経営していた父親はいつも仕事で帰りが遅く、朝早く出社するのが常でした。家にはあまりいなかったと彼女は記憶しています。
両親の仲は円満とは言いがたく、母親はそのストレスからか、晃子さんをたたいたり、部屋に閉じ込めたり、つらくあたることも多かったといいます。未熟児で生まれた晃子さんは体が弱く、嘔吐症(自家中毒)を患っていたこともあり、ずっと家でひとり遊びをしていました。
■血液型のことで父が激怒
血液型のことを父親に尋ねたのは、小学校低学年の頃です。
何かのきっかけで自分の血液型を知った晃子さんは、父と母は同じ型なのに自分だけ異なることを子どもながら不思議に思い、「なんで違うの?」と尋ねました。
返事は覚えていませんが、のちに親戚から聞いたところ、父親はこの頃、自分たちが養子を迎えたことを知っていた祖父宅を訪れて、「誰がしゃべったんだ!」と怒っていたそうです。「父親は(養子であることを私に)隠したかったんでしょうね」と晃子さんは振り返ります。
自身が菊田医師の産院で生まれたことは、小さい頃から知っていました。建物の前を通ったとき、母親が「ここで生まれたんだよ」と話していましたし、母子手帳にも産院の名前が書かれていたからです。
■冗談のつもりで言っていたが…
菊田氏が行っていたことを知ったのは、大学に進学し、地元を離れていた頃でした。養子あっせん行為について、菊田氏は晃子さんが生まれる前の1973年には新聞取材で公にしていたのですが、彼女がその情報に触れたのはだいぶ後でした。たしか、テレビ番組がきっかけだったと記憶しています。
ただ、晃子さんは菊田氏の養子あっせんを知っても、自分がその1人だとは思えませんでした。
「私、あそこ(菊田氏の産院)でもらわれてきたんだよね」などと言っていたのは、「冗談にして、自分を落ち着かせるため」だったといいます。
就職活動中にSPI問題集で、両親の血液型から晃子さんの型は生まれないことを知ったときも、半信半疑でした。何人か詳しい人に相談したところ、「絶対に生まれない」という人もいれば、「まれに生まれる」という人もいたからです。
やはり、自分は養子らしい――。いよいよそう考えざるをえなくなったのは、今から4年ほど前、亡くなった母親の初盆を迎えたときでした。親しい人から、はっきりと言われたのです。
あとからわかったことですが、昔から近所の人たちは知っていたようです。母親が菊田医師の産院へ行くときに使ったタクシーの運転手が、「行きはお腹が大きくなかったのに、帰りには子どもを抱いていた」と近所の保険外交員に話し、その人から話が広まっていたのです。
自身の出自にうっすらと疑問を抱いてはいたものの、養子という話は晃子さんにとって大変な衝撃でした。激しく混乱しましたが、相談できる相手もおらず、「1人で随分、暴れた時期もあった」といいます。
両親がずっと真実を伝えてくれなかったことへの失望。菊田氏がしたことに対する怒り。幼少期から感じてきた家族に対する疑問への納得感――。言葉にしがたいたくさんの思いが、晃子さんのなかで渦巻いていました。
■父親と似ているのはなぜ?
自分が養子とわかったとき、晃子さんの頭に浮かんだ最大の疑問は「だったら、なぜ自分はこんなに父親と似ているのか?」ということでした。今もこの「ハテナが消えない」ままです。
晃子さんはお父さん似で、いろんな人から「そっくりだね」と言われて育ってきました。父方の従姉妹とも似ており、うち1人とは今でも間違えられることがあるほどです。だからずっと「父親は(実の)父親」だと思っていたといいます。
「もしかしたら、私は父親が誰かに産ませた子なのかもしれないって。私と母親は考え方が全然違うし、気も合わなかったので、『この人は親じゃないから』と思ったほうが楽でした。だから、母親は違うけれど、父親は父親なんだろうなと思っていて……」
でも、晃子さんが養子だとすれば、母親だけでなく父親とも血縁がない可能性が高まります。
なぜ、なぜ、なぜ――? 父親は彼女が18歳のときに亡くなっているので、直接尋ねることはできません。頭に渦巻く疑問を片づけるべく、晃子さんはあらゆる手を尽くして、真実を探し続けました。
あるときは東北放送の記者の協力を得て、父方の親戚の1人と血縁関係を調べるDNA検査を受けましたが、はっきりとした結果が出ませんでした。
親戚や近所の人にも片っ端から話を聞いて、母親から事情を聞いていたという小学校時代の担任にも会いにいきました。しかし、晃子さんが一番知りたかった「誰の子か」ということについては、聞くことができませんでした。
■話を聞いて導いた「仮説」
いま、晃子さんのなかにはいくつかの仮説があります。その1つは、両親どちらとも血縁はなく、養子だったというものです。
「いろんな方の話を総合すると、父親は会社の跡継ぎが欲しくて、母親は養子はいらないと反対した。父親に説得されて母親が折れたのかな、と。でも、生まれるまで男女どちらかわからない。(養子の希望者リストに名前を掲載して)順番待ちをしていたら、たまたま私だった。父親はずっと私に『男だったらよかったのに』って言っていたので、そうなのかなと思いました」
他方で、「父親は父親、母親は別」ということも、まだありうると考えています。
「父親は誰かに(晃子さんを)生ませたんだけれど、私を(戸籍上の)『長女』にするために、菊田医師を通して養子にしたのかなって」
さらに「父親の親戚(の子)」という可能性もあるかもしれない、と晃子さん。DNA鑑定の微妙な結果や、父親と顔が似ていることから、そう考えたと言います。
今も真相はわかっていません。
自身が養子と知ってから、晃子さんは心身ともにあまり調子がすぐれないといいます。
筆者がこれまで取材したなかにも、自身の出自を予期せぬ形で知ったのち、原因不明の体調不良に見舞われるようになった人がいました。晃子さんの不調も、出自を知った衝撃と無関係ではないのかもしれません。
■虚偽記録では得られない手がかり
養子、提供配偶子(精子・卵子)で生まれた人、産院で取り違えられた人――。自身の出自を知るために、お金や時間を莫大に費やした人は多くおり、とても理不尽なことと感じます。
最近は、養子のルーツ探しを支援してくれる団体(ISSJ=社会福祉法人日本国際社会事業団)も現れました。
筆者が同団体に問い合わせたところ、晃子さんのようなケースは時折問い合わせがあるものの、残念ながら支援できていないといいます。虚偽の記録が行われた戸籍からは手がかりを得られないからです。
後編では、菊田医師にあっせんされたほかの養子たちの話や、晃子さんが菊田医師や特別養子縁組について思うことなどを聞きます(後編はこちら:「生まれたくなかった」「親ガチャ2回失敗するって、ない」…実の親を知らない40代女性が今も問い続ける、生まれてきた意味)。
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