「横浜ファンの方も許してくれるかなと」元DeNA・乙坂智、巨人入団の“真相”…退団後は再び米独立リーグへ「最後はベイスターズで終えたいな」(Number Web)
41 分前

5年連続のAクラス入りを決め、クライマックスシリーズ進出が確定した横浜DeNAベイスターズ。宮﨑敏郎、牧秀悟、山﨑康晃、佐野恵太、三浦大輔ら、所属選手・監督へのインタビューをまとめた書籍『ハマ街ダイアリー 2018-2026 ベイスターズ45人「本音」の記録』(著・石塚隆)が発売中だ。今回はその中から、2026年・乙坂智へのインタビュー内容を抜粋し、紹介する。【全2回の2回目/第1回も公開中】
乙坂智に最初に連絡をくれたのは、読売ジャイアンツの関係者だった。
獲得の意思を伝えられ、考えてから返事を欲しいと言われた。2021年のオフにDeNAを退団して以来の、NPBへの復帰。ずっと海外でメジャーを目指し奮闘してきた乙坂は悩んだ。
「ただクビになった後でしたし、必要とされることがむちゃくちゃ嬉しかったんです。とはいえベイスターズに愛着というか思い入れが強かったし、同じセ・リーグのジャイアンツに入団するのはどうかなって、すごく悩みました。けど今まで海外でがんばってきましたし、きっとベイスターズファンの方からは『ジャイアンツでもがんばれよ』って言ってもらえるんじゃないかなって思ったんです。
その後、米独立リーグのチームからもオファーがありました。けどスピード感を大事にしたいというか先方の思いの深さも含めて、これまでも一番最初にオファーをしてくれたところに決めていたんで、めっちゃ悩みましたけど、ジャイアンツのために全力で頑張ろうと覚悟を決めて、日本に帰ることにしました」
5年連続のAクラス入りを決め、クライマックスシリーズ進出が確定した横浜DeNAベイスターズ。宮﨑敏郎、牧秀悟、山﨑康晃、佐野恵太、三浦大輔ら、所属選手・監督へのインタビューをまとめた書籍『ハマ街ダイアリー 2018-2026 ベイスターズ45人「本音」の記録』(著・石塚隆)が発売中だ。今回はその中から、2026年・乙坂智へのインタビュー内容を抜粋し、紹介する。【全2回の2回目/第1回も公開中】
乙坂智に最初に連絡をくれたのは、読売ジャイアンツの関係者だった。
獲得の意思を伝えられ、考えてから返事を欲しいと言われた。2021年のオフにDeNAを退団して以来の、NPBへの復帰。ずっと海外でメジャーを目指し奮闘してきた乙坂は悩んだ。
「ただクビになった後でしたし、必要とされることがむちゃくちゃ嬉しかったんです。とはいえベイスターズに愛着というか思い入れが強かったし、同じセ・リーグのジャイアンツに入団するのはどうかなって、すごく悩みました。けど今まで海外でがんばってきましたし、きっとベイスターズファンの方からは『ジャイアンツでもがんばれよ』って言ってもらえるんじゃないかなって思ったんです。
その後、米独立リーグのチームからもオファーがありました。けどスピード感を大事にしたいというか先方の思いの深さも含めて、これまでも一番最初にオファーをしてくれたところに決めていたんで、めっちゃ悩みましたけど、ジャイアンツのために全力で頑張ろうと覚悟を決めて、日本に帰ることにしました」
7月11日に入団テストが行われると合格し、翌日正式契約した。3年半ぶりのNPBへの帰還。久しぶりに日本の環境で野球をプレーしてどのような思いが胸に去来したのか。
「僕がベイスターズを離れたのは28歳のときで、当時は中堅だったんですけど、帰ってくると年上の部類になっていました。だから若手たちが、いろいろ僕の話を聞きたがって、改めて自分は面白い野球人生を送ってきたんだなと思うと同時に、これをちゃんと伝えていきたいなと思ったんです」
日本を離れ、ほぼゼロベースで各国を渡り歩きマイナーまでたどり着いたキャリアは稀有なものだ。
「プレー以外でジャイアンツにできる貢献を考えたとき、どうしても今日明日ばかり見て視野が狭くなりがちな若手に、言葉のギフトというか、自分の経験を通して、そんなに悩まなくても大丈夫だよとか、いろいろ伝えることは意識的にやっていましたね」
7月29日に一軍登録されるが、立場は代打だった。最初の3試合は快音を響かすことはできなかった。そして迎えた8月9日のDeNA戦で、乙坂は久しぶりに横浜スタジアムに帰還した。約4年ぶりの古巣。三塁側から見る光景は、とても新鮮で衝撃的だった。
「めちゃくちゃ感動していたんですよ。ライトスタンドのベイスターズファンの応援の熱量が本当すごくて『えっ、こんな応援をバックにプレーしていたんだ! 』って鳥肌が立ったんです。これは相手からしたら、すごく嫌だろうなって思いました」
チームを離れ、立場を変えたからこそ理解できたハマスタに渦巻くようなDeNAの応援の凄まじさ。三塁ベンチで迫りくるような重圧を乙坂は全身にビンビンと感じていた。
そしてDeNAが2―1とリードして迎えた5回表、2死走者なしの場面で代打・乙坂の名前がコールされた。DeNAファンからは万雷の拍手が起き、横浜スタジアムは大歓声に包まれた。ユニフォームは異なれど、やはり乙坂にとってハマスタは永遠のホームなのだ。
乙坂は、アンソニー・ケイが投じた初球を逆方向へ弾き返し、レフトオーバーのツーベースで、NPB復帰後初安打を記録した。ハマスタで決めるところが乙坂らしい。
しかしこの後、1試合出場すると8月16日に抹消され、それきり浮上できぬまま巨人を自由契約になってしまう。わずか5試合、5打席の出場。ヒットはハマスタで放った1本だけだった。はっきり言って戦力にはなれなかった巨人での日々を、乙坂はどのように感じているか。
「いち早く声を掛けて頂いて感謝していますし、だからこそ力になれなくて申し訳なかったというのが一番です。自分のパフォーマンスを発揮することができませんでした。けど同時にジャイアンツにはめちゃくちゃいい若い選手が多いので、心からがんばって欲しいなと思っています」
若手のメンターのような立場で過ごすことは、DeNA時代も海外でもなかった。結果こそ出せなかったが、乙坂にとって人間力を高める上でいい経験になったのだろう。「NPB復帰は間違いではなかった?」と乙坂に問うと、真っすぐな目で「もちろんです」と力強くうなずいた。
月日は流れ昨年の12月上旬、乙坂が2026年シーズンを再びヨーク・レボリューションでプレーすることが報じられた。
心のどこかで、メジャーを目指しマイナーまでたどり着き、NPB復帰も果たしたことで、一区切りついたとこのまま球界を去るかもしれないと思っていたが、乙坂はまだ戦いつづける選択をした。
「このまま終わった方が、たしかに綺麗だとは思いますよ」
小さくうなずきながら、乙坂は柔らかい表情で言った。
「諦めちゃおうかなって思ったことも正直に言えばあったんですけど、いろいろ考えているうちに、ここで終わったらダサくね? と思ったんですよ」
そう言うと乙坂は口角を上げた。いろいろ考えた末、辞めない理由は3つあると教えてくれた。
「ひとつは“出会い”ですね。チームメイトだったりコーチだったり、野球をつづけていればいろいろな出会いがあるし、その過程で自分の感覚や言葉が研ぎ澄まされて、結果、行動が自分の軌跡になっていく。それを見てなにか感じてくれる人もいるので、それをまだ見つづけさせたいって思いがあるんです」
異国の地を歩きつづけ、多くの人とコミュニケーションをとってきたベースボール・ジャーニーマンらしい心情だ。
「2つ目はイチローさんの存在ですね。マリナーズにいたとき、イチローさんと一緒に練習させてもらう機会があったんです。もう雰囲気がすごいんですよ。引退して6年も経っているのに、現役選手さながらの張り詰めた練習をしている。
技術や体力だけではない至高の勝負の世界を覗けた気がしましたし、ハイレベルで戦うにはここまで究めなくちゃいけないんだって思ったんです。小学生のときから大好きな選手でしたし、イチローさんほどの選手には到底なれないけれど、何歳になっても自分を磨きつづける姿勢は見習っていきたいなって」
偉大なレジェンドの背中が、乙坂に勇気と活力を与えた。
「そして3つ目なんですけど、僕の飼い犬に影響を受けたんですよ。“モモ”って言うんですけど、白内障で目が見えないんです。けれども散歩に行くと走るんですよ。それを見て感動したんです。
モモは目が見えなくても走っているのに、俺は体が動くのに辞めちゃうのもったいないなって。見えないと怖いのに走りつづける。僕が挑んでいる道も先が見えないけど、モモみたいにがむしゃらに走るのが格好いいんじゃないかって」
学びはどこにでもあるものだ。乙坂は愛犬から生きる姿勢を教えてもらったとうれしそうに語った。
今年の1月で32歳になった。正直、あまり時間は残されてはいない。けれども、どんな状況や環境であれ、どんな立場であろうと、成長し挑戦しつづけ常識の壁を越えて、発信していきたい。それが自分の使命なのだと乙坂は考えている。
「だから今シーズンもなにが起こるか、ドキドキワクワクしていますよ」
乙坂の旅は、まだ終わらない――。
長時間の取材を終えようとしていたタイミングで、乙坂が思い出したように口を開いた。
「じつは日本に帰ってきて、夢がひとつできたんですよ」
一体、何だろうか?
「最後はベイスターズで終えたいなって思ったんです。あのハマスタのファンの応援は衝撃的だったし、本当に感動したんです。だから野球人生の最後をベイスターズで過ごせたら、豊かな人生になるんじゃないかって思うんです」
そう語る乙坂からは、どこか温かさと寂しさが混ざり合い漂っていた。
横浜市出身。中本牧リトルシニア、横浜高校、DeNAでプレーしてきた乙坂にとって、世界に誇るこの港町は、愛してやまないホームタウンだ。4年前『横浜から世界へ』を合言葉に、乙坂は旅立った。出港した船は、寄港しながらも最後は必ずその港に帰ってくるものだ。果たして乙坂は、どこを終着港とするのか、これからもその姿を見つづけていきたい。
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